淡路の自生地
津ICから伊勢自動車道を抜けて、国道25号を西に向かった。インターや行き先の名前に奈良だの法隆寺だの歴史の舞台になった地名が沢山出てくる。丁度その頃、女房の母親から携帯に電話があった。女房は破水して病院に運ばれたそうだ。予定日は14日であったが、今日は19日。おそらく今日中には生まれるだろうとのこと。こんなときに遊んでいる自分は本当に罰当りである。
車はそのまま西名阪を抜けて大坂の環状線を抜け、山陽道に入り兵庫県へ入る。カーナビのお蔭様である。そして明石大橋が見えてきた。大きな橋である。感動だ!こんな素晴らしい場所で食虫植物もさぞ元気にしていることであろう。そしてサミットの会場としてふさわしい場所であることは言うまでもない。胸が躍るような感動を抑えきれずにいたのは私一人ではなかったことであろう。

淡路島。そう、5年前の阪神淡路大震災の震源となったとされている場所であり、個人的には推理作家の横溝正史著の「悪魔が来たりて笛を吹く」の舞台となった場所でもあるので、感慨深いものがあった。
明石大橋を数分で渡ると、そこは淡路島。岩屋ICで降りて岩屋港まで行く。宮本氏が待っていてくれた。民宿も無事に予約できたそうで一安心だ。
1泊素泊まりで4.000円、食事付きで8.000円。近くに飯を食うところはないと言うことだが、そんなことはありえないだろうと、素泊まり4.000円を選択したのである。これは結果的に正解であった。
出迎えの宮本氏のほかに威勢のいおじさんが出てきた。関西の大元締である内藤氏である。あいかわらずのようで、お元気そうである。予約を取った民宿のおやじが植物と魚が好きらしく、すっかり意気投合したらしい。相手はどう思っているか知らないが、すッかりお友達になったようである。
そしてもう一人、関西のムシトリスミレの第一人者、いや世界に誇れるお人であろう。新谷明雄氏である。残念ながらお忙しいと言うことで明日のサミットは不参加とのこと非常に残念ではあるが、ジャパンフローラの会場には新谷氏の精魂込めて作り上げたムシトリスミレの花が咲き乱れていることであろう。
挨拶もそこそこに早速民宿へ移動することとなる。車で10分ほどであろう。ジャパンフローラの会場を通り抜け、数分で宿に到着。「なかじまや」という意外とこぎれいな民宿である。内藤氏と意気投合したという民宿のオヤジが威勢良く登場。よくしゃべるオヤジである。内藤氏と意気投合するのもうなずける。
時間は3時過ぎ。まだ時間があるので、淡路の自生地でも見に行こう!と言うことになったが、みな疲れているので自生地探検は明日にお預けとなる。この自生地は宮本氏がジャパンフローラで警備のアルバイト中の休みのときに数分で見つけた場所だそうでさすが食虫植物探索会の会長である。
稲穂氏が足を痛めたらしい。伊勢で三脚をとりに行くときに足をくじいたらしい。かなり痛そうである。自生地探検は無理と判断。明日は一人留守番となりそうだ。
風呂に入り、運転の疲れを癒すことにする。風呂は温泉ではないが、なかなかよい風呂である。民宿のオヤジがいきなり入ってきて、シャワーの使い方は日本人はなっていない。などと分けのわからないことを勝手にしゃべって、勝手に自己完結して出て行ってしまった。ますます分けのわからないオヤジである。
風呂上りはビール!宮本氏、稲穂氏、Redec氏は下戸。いえきちさんはあまり飲むほうではない。今日飲むのは私だけか!と思いきや坪井氏が付き合ってくれた。彼は飲んだ瞬間顔からクビ、胸まで真っ赤になってしまい、まるで日焼けしすぎた人みたいである。しかし、普通のアサヒスーパードライであるが、旅先で風呂上りに飲むビールは又格別な味わいである。
時間は夕方の6時過ぎ、そろそろ小腹が減ってきた。近くに飯屋など何もないと言う話であったが、何をいわんや、歩いて数分のところにファミリーマートはあるは、その迎えに中華料理屋はあるは、食事には不自由しなそうだ。早速食事となるが、コンビに弁当も味気ないので、中華屋に入ることになった。メニューは一品料理が全て600円から700円。100円プラスで定食となるので、これは安い。私と稲穂氏は麻婆定食。これがにんにくが効いていて凄く美味しいのだ。ビール大ジョッキも喉を鳴らして飲んでしまった。最高である。他のメンバーもいろいろ頼んでいたが、宮本氏は辛いものがダメらしく、辛くないものをと言うことで、たれの味見までしていた。意外であった。
さて、お腹も一杯になったところで、今夜は土曜日なので盛大に花火が打ちあがると言うので行く事にする。稲穂氏は足の痛みが治まらないので、民宿で留守番である。場所は花博会場内で見ることになり、私の車で花博会場の駐車場へ。
宮本氏は無料駐車券を持っているので、堂々と関係者用のゲートからでかい顔をして進入。同じく関係者用のIDカードも配布され、これで無料で会場内に入れるのである。裏から会場に入る途中、急に女房のことが気になったので電話を入れた。実は淡路の民宿の場所は携帯が圏外で不通であったので、心配で連絡を入れたのである。 女房の携帯に連絡を入れたところ、元気のいい赤ちゃんの声が聞こえた。よかった、無事に生まれたようだ。3.800gの元気な男の子だそうだ。夕方5時ジャストに生まれたそうだ。その頃私は呑気に風呂に入っていた頃だ。罰が当たるかもしれない。
時間が丁度8時をまわった頃にいきなり花火が上がった。すごいすごい!さすがである。勢いのある大きくきれいな花火がいくつもあがり最高な気分である。しかし時間は2分ぐらいで意外とあっけなかった。
さて、会場に入ると、早速裏の事務所で展示会場の課長さんにご挨拶、名刺交換をすませて、いよいよ展示会場へ。兵庫フラワーセンターのおびただしい数のネペンテスの展示が目に飛び込んできた。凄い!さすがプロ!と言ったところであろうか。ネペンテス、サラセニア、ムシトリスミレ、ドロセラなどが所狭しと展示されている。それもただ鉢を並べているだけではない。地植、自生地風に仕立てられ、誠に見事である。その向かいには関西連盟の展示がある。こちらも咲き乱れるムシトリスミレ、珍品であろうD.graminifolia D.grabripesなどが平然と展示されている。ビブリスもイビセラも見事である。展示期間が長いために、サラセニアはかなり痛んではいたが、見事で元気な姿で安心した。ただ、日もあたらない場所ではペティオラリス類の株は殆どが弱っていたが、先日急逝した故・星野氏の遺品であるD.ordensisはなぜか元気で生き生きしていた。彼の魂が行き続けているのであろうか?
目の色を変えて見学をしていると土居氏が登場。毎日メンテナンスのために世話をしに来るそうだ。仕事とはいえ大変であろう。我々の撮影と土居氏のメンテナンスが終わったので、駐車場に座り込んでお茶することにした。近くに喫茶店はないし、会場内のお店は閉まっている。しかも、外に出るにも帰りの車で駐車場から一般道への道は赤いテールランプが何処までも続くような大渋滞である。やむなく駐車場でうんこ座りで積もる話に花が咲いた。
土居氏に会うのは昨年のゴールデンウイーク以来で懐かしいものである。会話は尽きないもので気がつけば閉店時間はとっくに過ぎ、車も殆どいなくなり、渋滞もなくなっていた。明日もあるので、ここで解散。土居さんは自宅へ、我々は民宿は帰ることにした。
宿へ帰ると稲穂氏が間抜け面をぶっこいて寝ていた。よく考えれば、運転手である私とRedec氏は運転交代しているときは少しでも睡眠は取れたが、稲穂氏はその運転手の話し相手と言う助手席の宿命ゆえ、殆ど寝ていないのである。気持ちよさそうに寝ていたのを起こすのは忍びないが、布団を敷いて明日に備えて早めに就寝。明日はいよいよ食虫サミット!東海組、広島組、北九州組、そして本家本元関西組、胸がワクワクするようなそんな気持ちで深い眠りについたのである。

8月20日(日)。今日はいよいよサミットの日であるが、午前中時間があるので、淡路島内の自生地を見に行くことになっている。朝から雲行きが怪しく、西の空はどんよりと雨雲の気配がする。
稲穂氏の足の具合も大分良い様であるが、大事を取って自生地見学はお留守番となる。言い忘れたが、宮本氏は民宿の駐車場にテントを張っているのである。朝の6時過ぎには我々の部屋を襲撃。その後、いえきちさんの部屋にも襲撃したらしい。朝から元気なおじさんである。
身支度をして朝飯をコンビニで済ませて、私の車に5名乗り込みいざ出発。運転は宮本氏。民宿を出て、岩屋を過ぎて海岸線を気持ちよく走っていたら、小雨が降って来た。朝から大雨ではかなわない。先を急ぐが、そのとき私の携帯がなる。赤塚氏である。今、丁度明石大橋を渡るところだという。東海組は朝5時に岐阜を出発。総勢7名、車2台での食虫サミット参加である。一緒に自生地行きま しょう!の一言で、東海組みも一緒に行くことになったのは自然の成り行きであろう。
北淡ICで待ち合わせとなるが、東海組みがなかなか来ない。どうやら高速の降りるICを間違えたようであるが、無事に合流することが出来た。懐かしい面々が車からぞろぞろと出てくる。赤塚氏、三原氏、トラキチ氏と奥様、奥様とは初対面である。食虫の世界に女性が居ることは誠に喜ばしいことである。紅一点とおもいきや、ふらんすさんも登場。E.木村氏も久しぶりである。そして何処となく木 村氏にしている伊藤氏とは初対面。メールでは何回もやり取りをしているが、こういう出会いもインターネットのなせる技であろう。 各々の自己紹介をし、車3台で自生地へと出発した。宮本氏が花博のアルバイトで宿泊していた場所がすぐそばにあり、そこから歩いて数分で見つけたという自生地である。
大体の場所はわかるが、車で行くと道が良くわからない。カーナビも細かい道まで表示してくれないので、道なき道をさ迷っている。30分ほど迷走しただろうか。ようやく見つかり車をとめる。丁度田んぼの向こう側の崖に生えていた。コモウセンゴケである。
ここは関西なのに、関東型のコモウセンゴケが数が少ないが逞しく自生している。かなり乾燥しているようで、今後の生存が危ぶまれるかもしれない。またこの崖にはマレーシアのネペンテスの自生地のように共存するシダ類は繁茂しており、良く探せばネペンテスもあるかもしれない。などと冗談が飛び交うほどであった。
サンダル履きやスカートの人もおり、とても自生地を探検する格好とは言えない人もいるが、とても楽しい雰囲気で時間のたつのも忘れてしまう。
さて、ここの場所を後にして次なる場所へと向かう。宮本氏の記憶が今一で30分以上迷走し、おまけに車1台がはぐれてしまい、しかも山の中なので携帯が繋がりにくい。さらに携帯が繋がっても、今自分たちが何処に居るのかさっぱり検討がつかないのには困ったものである。まあ、なんとか3台合流し、自生地へ到着。ここは中古車、廃車が数台置いてある場所で、そのそばの崖に食虫植物が生育し ていた。 トウカイエンシスである。先ほどのコモウセンゴケの場所からは1kmとはなれていない場所なのにこちらはトウカイエンシシウしか見当たらない。まったく不思議な事である。
さらに、真っ黒になって枯れているイシモチソウの枝を数本発見。春先には沢山自生していたそうだ。ここの場所も乾燥が著しく、トウカイエンシスは少しいじけているように感じた。近くに溜池があり、そのすぐ岸に比較的元気で群落を形成している場所を発見。ここは水分も豊富で、トウカイエンシスも真っ赤に色づき元気そうであった。
さらに、下のほうにも溜池があり、そこまで歩いて下っていくと、崖にびっしりとトウカイエンシスが繁茂している。ここはすごい。しかし日当たりが悪いので、株はみんな青白いが、数はすごい。しかしながら、少し歩いたせいもあるが暑くて仕方がない。

トップ栽培場JCPS案内浜田山集会分譲画像文献自生地南総リンク inserted by FC2 system